SSブログ

星になった日 [日常]

福島の郡山で単身赴任で働いていた義兄。ほんの1ヶ月半ほど前に膵臓ガンとの診断を受け

大阪の病院での治療の為に帰ってきていました。沈黙の臓器と言われる膵臓をむしばんだガンは

すでに4期に入っており、肝臓への転移も認められた為手術や抗がん剤の治療も効果がなく、

壮絶な痛みに耐えて頑張っていましたが、先週の木曜日ついに逝ってしまいました。享年64歳。

早すぎる死に義兄に関わるすべての人間が残念でたまりませんでした。


こちらにいる時には阪神大震災を経験し自宅が全壊、そして福島では昨年の東日本大震災に

巻き込まれた義兄。病院の設備関係の仕事をしており、こちらの家族や親戚が心配する中

それこそ不眠不休で人命救助や病院の建て直しのお手伝いをして頑張ってきた義兄でした。

うちの旦那とは仲のいい兄弟というのではなかったけれど、私にはやさしい兄で・・・

うちやうちの実家のほうにも季節ごとに採れる果物を福島からわざわざ送ってくれて、

又孫にも恵まれ、孫に合うのを楽しみによく10時間ほど掛けて車で帰ってきていました。


最後のお見舞いとなった日はさすがに痛さがピークだったのでしょう。

朦朧とする意識の中で「先生には安楽死させてくれと頼んだんや~」と・・・気弱な事を言いました。

これ以上頑張れとは言えず、その日は気持ちが落ち着かないまま帰りました。

翌日朝、義姉さんからもらったメール。

  「本当に病気の告知を受けてから絶望の日々でした。尽く望みは断ち切られ、それでも

  主人は泣き言を言わずに耐えてきました。もうその苦しみから解放してあげたい」

そんな気持ちを知っていたのでしょうか・・・その日の晩に危篤状態となり、私達の到着を待たずに

逝ってしまいました。最後はとても静かに息を引き取ったようです。身近な人の壮絶な闘病と死。



そこからはバタバタと本人の死を悲しむ間もなく進んでいく事柄。仮通夜、通夜、葬儀など・・・

この先定年を迎えても福島に住みたいと言っていた義兄。福島の人との繋がりが深かったのでしょう。

福島の地をこよなく愛していました。今は又福島に帰って行ったのだと思っています。

そして定年後にやりたかった果樹園の夢でも見ているのでしょう、きっとね。


DSCN0057.JPG


個人的な事をブログに残すのはどうかと思ったのですが、これは自分の記録でもありますからね・・・

お読み頂きありがとうございます。
コウノトリの郷へ見つめられて ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。